徳川林政史研究所では、平成14年度より文部科学省の科学研究費補助金(特定奨励費)の交付を受け、、筑波大学農林学系の加藤衛拡研究室および各地の大学・自治体史編さん室などと共同で、全国各地の森林管理局に所蔵されている史料の所在調査と整理・目録化作業を実施しています。 森林管理局とは、林野庁のもとで国有林の管理・運営を担当する機関です。その構成は、平成14年度までは全国に7か所ある本局と、北海道に4か所、東北・関東・中部に各1か所の分局からなっていました。また、森林管理局の管轄下には、それぞれ数か所ずつの森林管理署が置かれていて、全国各地に所在する国有林の保護育成や利用に関する事業の第一線を担っています。
北海道森林管理局 | 本局(札幌) | 石狩など5か所の森林管理署 |
旭川分局 | 宗谷・留萌など7か所の森林管理署 | |
北見分局 | 網走・西紋別など4か所の森林管理署 | |
帯広分局 | 十勝・根釧など4か所の森林管理署 | |
函館分局 | 桧山・渡島など3か所の森林管理署 | |
東北森林管理局 | 本局(秋田) | 庄内・湯沢・山形など6か所の森林管理署 |
青森分局 | 津軽・盛岡・仙台など11か所の森林管理署 | |
関東森林管理局 | 本局(前橋) | 福島・日光・上越など12か所の森林管理署 |
東京分局 | 茨城・伊豆・静岡など5か所の森林管理署 | |
中部森林管理局 | 本局(長野) | 北信・南信・木曽など5か所の森林管理署 |
名古屋分局 | 東濃・飛騨・富山など4か所の森林管理署 | |
近畿・中国森林管理局 | 本局(大阪) | 石川・奈良・広島など12か所の森林管理署 |
四国森林管理局 | 本局(高知) | 徳島・香川・愛媛など7か所の森林管理署 |
九州森林管理局 | 本局(熊本) | 福岡・大分・鹿児島など16か所の森林管理署 |
しかし、森林管理局に対しては現在、行政改革による官庁組織の整理統合の一環で、分局の廃止、本局への一本化が図られ、北海道・東北・関東・中部にある分局(上の表の赤色の部分)は、平成15年度に廃止されてしまいました。これらの統廃合にともない、本局・分局ともに従来保存されてきた林野行政に関する文書が廃棄される危険性が増大しています。こうした現状に鑑み、今回の全国森林管理局所蔵史料調査では、以下の3点の目的のもとで取り組みを進めています。
1. | 森林管理局の統廃合に際し、これらの機関に保存されてきた江戸時代から戦前期までの林野行政関係文書の所在を確認したうえ、整理・目録化作業を実施して、歴史資料としての価値を改めて認識してもらい、廃棄・散逸を防止すること。 | |
2. | 情報公開法の施行により公開対象となっているものの、専門職員がいないため十分な利用体制が整っていないこれらの文書に対し、適切な整理・目録化の措置を施し、以後の学術利用、特に江戸時代の幕府・諸藩の林野政策や明治以降の国有林行政の研究を容易にするような研究基盤を整備すること。 | |
3. | 各地の大学研究者らと連携して調査に取り組むことにより、環境問題との関わりなど、今後その重要度が増していく研究分野であるにもかかわらず研究者人口が少ない林業史・林野行政史部門の研究者相互のネットワーク化を図ること。 |
以上の目的のもと、平成14年度~15年度には、全国各地に所在する森林管理局本局・分局の史料所在調査、ならびに筑波大学加藤研究室が主体となっている東北森林管理局(秋田・青森)の調査に参加しました。また平成15年度からは、東北森林管理局(秋田・青森)での調査に引き続き参加するとともに、本研究所が主体となって関東森林管理局東京分局・中部森林管理局名古屋分局での本調査にも着手しました。そして平成16年度には、中部森林管理局本局(長野)の史料調査に本格的に携わることとなり、平成17年度には、これらに加えて九州森林管理局(熊本)の調査も開始しました。本研究所では、研究員および研究生らが、それぞれの機関に赴いて文書類の整理・目録化作業を行い、史料全点の概要を把握すると同時に、文書類の管理・出納が容易にできるような措置を施しています。さらに、研究上有益な史料に関しては、写真撮影などを通じてその収集を図っています。
2005年2月18日、本格的な調査の着手を前に、筑波大学の加藤衛拡氏と本研究所の太田尚宏および研究生の山崎久登が、詳細な史料所在データを把握するため、熊本市京町本丁にある九州森林管理局を再び訪問しました。
2003年11月17日に筑波大学の加藤衛拡氏と本研究所の太田尚宏が、史料の所在調査のため、前橋市岩神町にある関東森林管理局を訪れました。
2003年8月4日、筑波大学の加藤衛拡氏と本研究所の太田尚宏が、史料の所在調査のため、熊本市京町本丁にある九州森林管理局を訪れました。
筑波大学の加藤衛拡氏と本研究所の太田尚宏が、2003年7月3日、史料の所在調査のため、大阪市北区天満橋にある近畿中国森林管理局を訪れました。 担当の方の話を聞いたのち、図書室や地下倉庫にある史料を見せてもらった結果、境界関係や官行造林関係の簿冊、施業沿革史などの史料が数多く残されていることが判明しました。同管理局では、比較的これらの文書類の整理が進んでおり、未整理の状態で残されている調査対象史料はそれほど多くありませんでした。 また、同日の午後からは、同管理局の方のご案内で、奈良森林管理事務所に残されている史料を調査させてもらいました。別棟倉庫の書架やロッカーに、明治後期からの「年伐表」「新植地図」「育木養成台帳」など、より林野管理の現場に近い立場で作成された史料が残存していることが確認できました。
2003年6月24日に筑波大学の加藤衛拡氏と本研究所の太田尚宏が、史料の所在調査のため、高知市丸ノ内にある四国森林管理局を訪れました。 担当の方とお話をしたところ、四国森林管理局では平成11年の情報公開法の施行により文書保存年限が最長30年になったことにともない、保存年限が過ぎた文書の大半を廃棄したとのことで、ほとんど史料となるべき文書が残されておらず、調査を断念せざるを得ない状態であることがわかりました。
2003年5月30日に筑波大学の加藤衛拡氏と本研究所の太田尚宏が、史料の所在調査のため、長野市大字栗田にある中部森林管理局を訪れました。 担当の方のお話によると、現在、森林管理局に残されている史料は、約40年前に木曽福島の営林局が廃止された際に移されてきたものとのことで、別棟の書庫には「古文書」と分類された明治4年以降の文書が大量に残されていました。 その後の協議により、これらの史料については、当研究所が中心となって整理・目録化作業を進めることになりました。
筑波大学の加藤衛拡氏と本研究所の太田尚宏が、2003年3月3日、史料の所在調査のため、東京都江東区木場にある関東森林管理局東京分局を訪れました。 担当の方のお話では、東京分局の史料はたび重なる移転や火災によって散逸しており、調査対象となるべき戦前期までの文書類はほとんど残されていないということでした。しかし図書室の中に、かつて職員の方が編さんした「伊豆林政史」と題した稿本があり、その中に戦前までの文書が一部綴じ込まれていることが判明しました。
全国森林管理局所蔵史料調査は、徳川林政史研究所に在籍していたこともある筑波大学農林学系の加藤衛拡氏と協議のうえ、東北地方の森林管理局(青森と秋田)は筑波大学加藤研究室が主体で、中部地方の森林管理局(名古屋と長野)は本研究所が主体となって調査を進めるということになりました(このほか各地域で調査の趣旨に賛同していただける方や機関には参加していただいています)。
研究員の太田尚宏および研究生の田原昇・坂本達彦が参加し、前回の調査で未了だった計画課文書庫内の調査対象史料について、目録カード採録・データ入力作業を行い、一部の史料についてはデジタルカメラによる写真撮影を実施しました。 目録カード採録・データ入力は、大正~戦前期の施業案(国有林・御料林)を中心とした75点の史料について実施しました。また、名古屋分局の職員の方から、旧職員の手元に保管されていた明治40年(1907)の「社寺上地御料林野竹木取調帳」(9冊)の整理を依頼され、これらもあわせてカード採録・データ入力しました。
中部森林管理局名古屋分局の史料は、平成15年3月に行われた分局の統廃合に伴い、現在は長野県長野市内にある中部森林管理局本局に移管され、保存されています。
研究員の太田尚宏および研究生の田原昇・西光三・山崎久登が参加し、図書室ならびに計画課文書庫内の調査対象史料について、目録カード採録・データ入力作業を行いました。 図書室内には、岐阜県(美濃・飛騨地方)のものを中心とした明治9~10年(1876~77)の「官林取調書上帳」や同18年(1885)の「官林台帳」など、112点の史料が残されていました。また、昭和10年代に営林局内で実施されたと考えられる林政史編さん事業にかかわる筆写稿本など145点についても、目録カードの採録とデータ入力を行いました。
研究員の太田尚宏および研究生の栗原健一・高橋伸拓・田原昇・山崎久登が参加し、計画課所管の簿冊類約780点について整理・目録データ採録を行いました。このときの調査史料には、明治期から戦前期に至る木曽・伊那・諏訪など所轄地域に関する施業案説明書・森林調査簿・官行造林地施業計画などが多数含まれていました。
研究員の太田尚宏・白根孝胤および研究生の田原昇・坂本達彦・山崎久登が参加し、前回に引き続き、名古屋分局旧蔵分の追加史料の整理・データ採録を行うとともに、総務部所管の「古文書」分類に属さない形で保管されてきた計画課所管の調査対象史料についても、目録カード採録・データ入力に着手しました。また、調査報告作成に必要な史料の追加撮影も行いました。
研究員の太田尚宏・白根孝胤および研究生の田原昇・坂本達彦・山崎久登が参加し、調査報告に用いるテーマごとの史料について写真撮影を実施したほか、名古屋分局旧蔵の文書で、新たに本局へ送致されてきたものの追加調査を行いました。
研究員の太田尚宏および研究生の田原昇・坂本達彦・山崎久登が参加し、史料整理中に新たに発見されたものや、他の史料とは別に配架するのが適当と思われるものについて、「補」という分類記号を用いて整理・目録データ採録を行いました。 また『徳川林政史研究所研究紀要』代40号掲載の「調査報告」づくりに向けた写真撮影作業を始めました。 このときにデータ採録した史料には、御料局静岡支庁管下の諏訪出張所・飯田出張所において作成された要存・不要存の原野に関する実況調書・一筆図などが含まれています。
研究員の太田尚宏および研究生の田原昇・坂本達彦・山崎久登が全日程に、、研究生の藤田英昭・浦井祥子が一部日程に参加しました。なお、このときには、当研究所の竹内誠所長が、調査に対する御礼を申し述べるために長野へ赴き、中部森林管理局局長の関厚氏(実際には、局長が急用のため総務部長の谷口哲規氏)に面会しています。 この調査では前回に引き続き、分類記号「新」の史料に関する目録カード採録とデータ入力を実施し、おおむね作業を終えることができました。 なお、このとき整理した「新」の史料のうち、帝室林野管理局木曽支庁(のち木曽支局と改称)作成の文書については、大正2年(一九一三)以降、非常に整然とした簿冊構成に改められてました。従来の個別案件ごとの簿冊構成から、事業録・会計録・例規録・秘書録・庶務録の五種類へという変化です。このうち事業録は、甲編と乙編に区分され、甲編は事業設計・事業予定・事業報告・踏査及測量・地籍異動・建物異動・貸地処分・試掘及採掘・年期産物処分・試験及調査・訴訟及請願・不要存事業・雑件などの項目に、乙編は土木事業の項目にそれぞれ分類されて編綴されていました。同様に例規録は官規・事業・会計など、秘書録は進退身分・復命書など、庶務録は統計・道路補助・補助金などの項目に細分されています。こうした簿冊の形式は、昭和22年の林政統一まで続いており、当時の文書管理のあり方を探るうえで、興味深い変化であると考えられます。
研究員の太田尚宏および研究生の田原昇・坂本達彦・山崎久登が参加し、分類記号「新」の史料に関する目録カード採録とデータ入力を行いました、「新」に分類された史料は、今回の調査以前に目録化された形跡がなく、おおまかに年代を追う形で雑然と配架されていたもので、これを年代順・種類別に並べ直して、新たに史料番号を付与しました。 この調査でデータを採録したのは約500点ほどで、その内容を見ると、明治13年から16年頃までの境界・測量関係の文書類、御料林編入の前提として行われたと思われる明治21年の木曽地方各村「民林ケ所反別木種木数調」、主として明治33年以降の御料局名古屋支庁作成の文書類、明治35年より始まった神宮御造営材伐木事業に関する勤休簿・会計簿などの書類がありました。
研究員の太田尚宏および研究生の田原昇・坂本達彦・山崎久登が参加し、分類記号「整」の残りの史料と分類記号「別」の史料すべてについて目録カード採録・データ入力を終え、新たに「新」という分類記号を用いて史料番号を付与した未整理史料の整理に着手しました。 なお、このときに目録化した「整」の史料は、明治19年以降の大林区署時代のものが中心で、木曽大林区署および松本大林区署作成の簿冊からなっています。また「西筑摩郡書類」「上伊那郡書類」「下伊那郡書類」「諏訪郡書類」などと、郡別に編綴された簿冊類が多く含まれていたのが大きな特徴です。 一方、「別」と分類された史料は、主として人事あるいは会計に関わる簿冊類をまとめたものかと推測され、年代は明治11年から同22年におよんでいました。文書の作成母体は、木曽出張所(明治14年まで)・同山林事務所(明治19年まで)関係のものが多かったものの、中には熱田神宮造修材伐木所(明治16年)や木曽大林区署管内の阿寺官行事業所(明治21年)などが作成した文書も見られました。
書庫の改修工事が終了したので書庫内の配架状況を確認してほしいとの連絡を受け、研究員の太田尚宏が長野を訪れました。書庫内の二層部分には収容能力を高めるために電動式移動書架が採用され、これによって史料の出納が容易に行えるようになっていました。
3月に行われる名古屋分局の事務書類の移管に備えて、書庫の改修工事を行うとの話が総務課の担当の方からあり、整理中の史料の取り扱いや、今後の調査計画について話し合うため、研究員の太田尚宏が急きょ長野を訪れました。 打ち合わせの結果、改修工事中は整理中の史料をダンボール箱に梱包して保存するものの、書棚における配列順を極力くずさないようにすること、調査は年度明けから再開すること、などが決定しました。また、実際に書庫内に入って史料の配架状況を確認し、梱包の方法等について実地に打ち合わせを行いました。
2003年5月30日に実施した所在調査の結果をうけて、研究員の太田尚宏および研究生の田原昇・坂本達彦・山崎久登が参加し、別棟書庫にある調査対象史料について、目録カード採録・データ入力作業を行いました。
別棟書庫は上下二層に分かれており、上層にある木製の物品棚に、「古文書」と分類された史料が多数配架されていました。これらの史料の一部には、過去に整理が行われた形跡があり、「整」や「別」といった分類記号を有するピンク色のラベルが貼られていましたが、これらの整理に基づく目録類は引き継がれていないとのことで、このたびの調査では、すでに整理番号が付されラベルが貼られているものについてはその番号を踏襲し、ラベルがなく全くの未整理状態のものに関しては、「新」という分類記号を付けたうえで整理番号を付与し、目録カード採録を行うことにしました。 第1回調査は、雑然と配架されている史料の中から、「整」あるいは「別」というラベルが貼付されているものを選別し、これらを番号順に並べ替えるところから始まりました。冬場の書庫内は冷え切っていて、身を震わせながらの作業でしたが、これを何とか終えて、分類記号「整」のカード採録とデータ入力に入ったところで第1回の調査は終了しました。
主任研究員の太田尚宏および研究生の坂本達彦・西 光三・高橋伸拓・栗原健一が参加し、前回に引き続き、2階倉庫の「竿次帳」「地券台帳」約430点の目録データを採録しました。
主任研究員の太田尚宏および研究生の山崎久登・西 光三・高橋伸拓・栗原健一が参加し、2階大会議室脇の倉庫に収められている文書の整理・目録化作業に着手しました。
この倉庫には、明治10年代に鹿児島県が作成した「竿次帳」「地券台帳」が大量に残されており、また、大正末~昭和初年に行われた「林政沿革資料調査」に関わる筆写稿本なども収納されており、これらのうち約620点の目録データを採録しました。
主任研究員の太田尚宏および研究生の栗原健一・高橋伸拓・西光三・山崎久登が参加し、前回に引き続き、計画課所管の森林調査簿・経営案説明書・施業案説明書などの簿冊(戦前期まで)を整理し、これに加えて明治30年代以降の年期貸付・売払契約に関わるものなど、約930点の目録データを採録しました。 今回の調査で、5階書類庫の調査はいちおう終了しました。
主任研究員の太田尚宏および研究生の高橋伸拓・西光三・山崎久登が参加し、下戻関係、地籍関係、境界査定・周囲測量関係、森林調査簿、経営基案、経営案説明書など約600点の史料について整理・目録データ採録を行いました。
主任研究員の太田尚宏・研究員の白根孝胤および研究生の高橋伸拓・西光三・藤田英昭・山崎久登が参加しました。 この調査では、国有林野の譲与・組替・境内編入及下戻に関する書類、国有林野所属替に関する書類、官有財産に関する書類、森林調査簿など、主として明治20年代から昭和30年代までの約730点の史料について整理・目録データ採録を行いました。
主任研究員の太田尚宏および研究生の浦井祥子・山崎久登・西光三が参加し、森林原野の買い上げ・交換・取得などに関する史料の整理を続行し、加えて林野台帳関係史料、官有財産関係史料など、約380点の史料について整理・データ採録を実施しました。
今回調査を行った林野台帳が収納された書棚には、明治以降の「官林台帳」などの簿冊に混じって、江戸時代の山帳が残されていました。比較的まとまっているものとしては、福岡藩領分の怡土郡・粕屋郡・嘉麻郡・鞍手郡・下座郡・席田郡・那珂郡・御笠郡・宗像郡・夜須郡などに関する「御山帳」(年未詳、16冊)や、豊後臼杵藩領内で弘化4年(1847)に作成されたと思われる「下苅御山帳」(6冊)、同じく臼杵藩領内の慶応3年(1867)の「山帳」(7冊)などがあります。なお、臼杵藩に関するものは、第1回調査の際に整理したものと同じ系統のものと推測されます。
主任研究員の太田尚宏および研究生の坂本達彦・高橋伸拓・田原昇・山崎久登が参加しました。 この調査では、前回に引き続き、最も年代が古い史料が収納されている書棚に収められている史料を整理したほか、例規類(明治18~昭和38)、森林原野の買い上げ・交換に関する史料(明治16~昭和31年)など、約660点ほどの文書類について目録データ採録を行いました。 これらのうち、大林区署制公布以前の史料としては、文化~文政期(1804~30)に作成された福岡藩のものと思われる「拝領立山根帳」「拝領山・預り山・仕立山根帳」の存在が確認され、また、明治期に入ってからのものでは、明治4年の旧久留米県管内に関する「山林坪付帳」や、筑前国早良郡・席田郡・怡土郡の村々に関する明治5年以降の「家禄奉還者へ官林払下書類」などが残されていました。
2003年8月および2005年2月に実施した所在調査の結果をうけて、主任研究員の太田尚宏および研究生の坂本達彦・田原昇・山崎久登の四名が参加し、5階の書類庫から調査を開始しました。
5階書類庫には、スチール製の書棚が14面にわたって配置されており、森林管理局における過去の書類整理によって各面に番号が付され、さらに各段ごとに上から「天」「1」「2」「3」…というような番号が付けられていました。今回の調査で付した史料番号は、この書棚に付けられた番号を利用し、配架されている個々の史料について、例えば1―天―1・1―天―2というように、書棚の面番号―段番号―個別番号という形式としています。なお、配列については、担当部局の意向にしたがって、配架されている順序を崩さないように配慮しました。 第1回の調査では、最も年代が古い史料が収納されている書棚を中心に整理を行い、その結果、享保11年(1728)に福岡藩内の各郡ごとにまとめられた「御山帳」をはじめ、安永4年(1775)に肥後国八代郡の手永と呼ばれる地域単位ごとに作成された「御山藪根帳」、文化14年(1817)の福岡藩内の宗像郡の村々に関する「百姓証文扣」、文政~天保期(1818~44)に作成された豊後国海部郡・大分郡に関する「地雑帳」、嘉永3年(1850)作成の臼杵藩領内に関する「下苅御山帳」、慶応3年(1867)の臼杵藩村々の「山帳」など、44点の近世史料が残されていたことが判明しました。 明治以降のものについては、まず、明治7年(1874)に肥後の白川県において実施した山林調査に関する簿冊類が約70点ほどまとまって残されていた点が注目されます。これらは、県内の小区ごとに置かれた組の戸長が白川県令に対して提出した「山林調」「存置官林箇所取調帳」「山林存置事故取調帳」などを、玉名郡・八代郡・上益城郡・下益城郡・飽田郡などの各郡ごとに合綴・製本し保管していたものと考えられます。また、明治10年前後につくられた長崎県勧業課山林係の「事務簿」も、10点程度ですが比較的まとまって保存されていて、内務省直轄化以前における官林管理のあり方を知るうえで貴重なものとなっています。
2007年4月7日付の『日本経済新聞』文化欄において、徳川林政史研究所と筑波大学加藤研究室らで実施してきた全国森林管理局所蔵史料調査の取り組みが紹介され、貴重な国有林史料の散逸防止と適切な保存体制構築の必要性が指摘されました。
2008年5月6日付の『日本経済新聞』文化欄「文化往来」において、国有林史料が国立公文書館へ移管されることが速報されました。
2009年5月9日付の『日本経済新聞』文化欄において、同年3月27日に開催された日本農業史学会でのシンポジウム「国有林史料から見た新しい地域史像」の内容が紹介されました。
2007年5月19日(土)の午後1時30分から東京大学農学部1号館8番講義室において、林業経済学会・地方史研究協議会・徳川林政史研究所主催、林業経済学会・日本農業史学会共催による研究報告会「国有林史料の保存と活用にむけて」が開催されました。 この研究報告会は、筑波大学の加藤衛拡研究室らと徳川林政史研究所が、6年間にわたって実施してきた全国森林管理局所蔵史料調査の成果の一端を公開する目的で開催されたものです。
平成19年4月7日(土)付の『日本経済新聞』に、「国有林資料 廃棄の恐れ」と題して全国森林管理局所蔵史料調査の取り組みが紹介されたこともあってか、研究報告会には、歴史学・林政学・環境学・アーカイブズ学などの 研究者をはじめ、林野庁・森林管理局のOB・現職の方、一般市民の方々など79名が参加し、この問題への関心の高さをうかがわせました。 まず最初に、座長の脇野博氏による開会の辞のあと、東京大学大学院生命科学研究科の永田信氏からのご挨拶がありました。 永田氏には、日本森林学会会長の立場、会場を提供していただいた東京大学農学部の立場、さらに日本学術会議の連携会員としての立場から、それぞれ今回の研 究報告会の意義について言及していただきました。そしてさらに、日本学術会議会員で京都大学農学研究科の新山陽子氏が参加されていること、日本学術会議で 国有林史料をめぐる問題への関心が高まっていることなどが紹介されました。
代わって壇上にあがった新山氏より、『日本経済新聞』の記事を発端として、日本学術会議総会において国有林史料の保存を めぐる発言がなされ、多くの会員の賛同意見があがったことなどが紹介されました。また、日本学術会議としても、この問題を注視し、適切な取り組みを行って いきたい意向であることを明らかにされました。 この後、各報告と討論へと進んでいきました。以下は、各報告者の文責による報告要旨です。
加藤 衛拡(筑波大学)
2001年、国有林の管理・経営を担ってきた営林局・営林署史料の所在と実態を解明すべく、筑波大学・秋田高専の研究者で東北国有林史研究会を組織し、徳川林政史研究所と共同で全国調査を実施することにした。東北を東北国有林史研究会が、西日本を徳川林政史研究所が担当して今日に至っている。この間、林野庁・各森林管理局の皆さまには多大な協力をいただいてきた。
内地都府県を見ると、国有林は東北・北関東・中部山岳地帯・南四国・南九州に偏在している。その管理組織は、成立から戦後の林政統一までの間に御料林を含めて複雑な変遷を遂げてきた。 戦後の管理組織は営林局―営林署が中核となる。近年それらの統廃合が進んでおり、北海道・沖縄も含めると一四あった営林局は七つの森林管理局に、三〇〇を優に超えた営林署は一二〇の森林管理署などに統合された。こうした中、貴重な史料の保存を図るべくわれわれはその所在調査に着手した。
これまでに内地の旧営林局史料の所在を確認し、多くの史料を残す局については整理・目録化を図ってきた。調査の概況は以下の通りである。 現東北森林管理局については、旧青森営林局史料は約四五〇〇点、目録調査をほぼ終了した。現用資料は本局(秋田)へ移送され、歴史資料は青森事務所で保管されている。旧秋田営林局史料は約四〇〇〇点、これも目録調査はほぼ終了した。ともに多量の近世文書を含む点に特徴がある。
現関東森林管理局では、旧前橋営林局史料は少量であり、目録調査は未着手、旧東京営林局には歴史資料がなかった。これらに史料がないのは、戦前東京には「東京営林局」と「東京地方帝室林野局」とがあり、震災や落雷による焼失にはじまり、疎開による移転、林政統一後は東京地方帝室林野局が東京営林局となり、前橋営林局は新設されるという、複雑な組織変遷の事情も反映されたためであろう。 現中部森林管理局では、旧長野営林局史料が約二六〇〇点、目録調査をほぼ終了しており、中核に木曽の御料林史料が位置する。旧名古屋営林局史料は約五〇〇点で、調査は終了した。名古屋の現用資料・歴史資料は全て本局(長野)に移送された。 現近畿・中国森林管理局の旧大阪営林局史料は、目録調査に着手していない。民有林の割合が高い地域であるため、国有林は保安林的な規模の小さな森林が多い。境界関係資料は当局にて整理が済んでおり、地域ごとにファイルされている。未整理の史料には公有林野官行造林の簿冊、施業案説明書、管理関係書類などがある。 現四国森林管理局では、残念ながら所在調査の時点で既に歴史資料は廃棄されていた。 現九州森林管理局の旧熊本営林局史料は約一万点と推定される。現在三分の一を目録化し、作業を継続中である。 現森林管理署などとなった旧営林署の史料については、所在調査についても未着手である。統廃合で三分の一に減少しており庁舎の建て替え進んでいる。既に史料廃棄の可能性も高いが、保存されている史料があれば極めて貴重である。
今回の調査の結果、国有林の経営には、①近世から近代への連続性、②地域の社会経済とのリンク、③地域資源としての多面性を重視、④長期的計画性などの特徴があることを再認識できた。地域に関わる史料も多数ある。今後国有林史料を活用し、こうした方向での地域史・環境史研究を進めたい。その進展は、今後の国有林経営や国有林と地域社会との関係の再構築のために基礎資料を提供できるであろう。
成田 雅美(筑波大学)
東北森林管理局は、近世から現在に至るまでの長期間にわたる史料それも膨大な史料を所蔵している。われわれは、そのうち主に大正末期までの史料(一部に昭和期も含む)を整理し、仮目録を作成した。史料は、旧秋田営林局史料(東北森林管理局所蔵)の3868点、旧青森営林局史料(同管理局青森事務所所蔵)の3839点からなる。本報告では、同森林管理局が所蔵する史料構成の全体的な特徴を明らかにするとともに、今後すすめるべき研究課題のひとつにふれた。 平成11年に青森営林局と秋田営林局が合併して東北森林管理局が成立し、以降、同局は東北五県(青森・秋田・山形・岩手・宮城)に所在する国有林を管理している。東北地方の官林・国有林の管理組織と管轄地域は、とくに形成期の明治初期から大正初めにかけて複雑な変遷をたどり、大正2年に至り青森大林区署(青森・岩手・宮城)・秋田大林区署(秋田・山形)の二つに落ち着くことになった。管理組織と管轄地域の変遷を反映して、旧秋田・青森営林局史料には時期的にも地域的にも様々な史料が含まれている。史料構成の特徴を知るために、まず史料を五つの時期別および五つの地域(県)別に再構成したうえで、各時期・各地域の史料をいくつかの項目に分類し、これにタイトルを付けるとともに、項目毎に主要な史料を示して全体を俯瞰する方法をとった。 こうして再構成・再整理した史料群を概観すると、次の諸点を指摘することができる。第一に藩営林関係史料など近世史料の継承は、地域により大きな差異が見られ、秋田藩・弘前藩・仙台藩の史料が纏まっている。第二に明治初年から明治40年代初めまでの史料は、秋田県と宮城県のものが纏まっているが、火災や組織改編の影響で青森県・岩手県・山形県関係の史料が相対的に少ない。第三に保存されてきた近代史料の内容は、①本省達や例規、②官林形成、③官林・国有林の管理、④森林施業案などに係わるものである。そして、第四に史料はいずれも地元の町村や県そして住民と密接な係わりをもち、優れた地域史料を含むものである。
次に旧秋田営林局史料の中から地域的には秋田県を事例に取り上げて、もう少し史料の構成に立ち入ってみる。①近世の史料は、旧藩の御林などを管理していた木山方役所の史料と絵図が残っている。②官林・県庁・山林事務所期(明治4~19)は、本局達留、官林区域調査、部分木、下戻の四つに大きく分けることができる。③官林・大林区署・県庁期(明治19~30)は、本局・省御達・例規、官林境界調査、上地官林、部分木、下戻、施業案、官有山林原野に分かれる。④国有林・大林区署(・営林局)期(明治30~大正15)は、本省達・例規、境界調査・査定、処分、委託林・部分林、下戻、訴願・訴訟、官有・国有財産、施業案・林道、官行造林に区分することができる。 以上のように、現在東北森林管理局が所蔵する史料を、時期別・地域別に分類・整理すると、史料群をにらみながら、様々な課題を設定することができると思われる。ここでは「官林の直轄化と秋田県」をテーマに取り上げてみた。秋田県の官林の形成・直轄化の過程は、他地域にも大きな影響を及ぼしたと思われるからである。この課題については、旧藩の林制とりわけ御林等の管理・利用を検討することから始めなければならない。今回の史料調査の結果は、この点について再検討を要請していると思う。とりわけ、「木山方以来覚」など旧藩引き継ぎの木山方文書が重要である。また、これまでその存在それ自体があまり知られていなかった賀藤家文書も重要である。旧藩からの引き継ぎ文書は115点(「秋田県引継官林書類目録」『本局達綴込』秋田大林区署、明治12年)、賀藤家から購入した史料は318点(「秋田藩林政ニ関スル賀藤景林父子ノ旧記買上ニ関スル書類」昭和10年)であるが、これら史料と官林形成の関係の分析が改めて検討すべき課題となる。 明治期の秋田県林業・林政を扱った優れた資料・論考として、『秋田県史』資料明治編上(昭和35年)と『秋田県史』第五巻明治編(同39年)がある。これらは、主として県庁所蔵文書の分析から、山林原野の地租改正、官民有区別、官林区域調査などの特徴を明らかにしたものである。今回の東北森林管理局史料の仮目録作成によって、森林管理局史料からも新たに接近できることになり、また県庁所蔵文書の再検討も改めて必要となろう。国、秋田県そして地元住民、三者の関係を軸として、官林の形成と直轄化の過程をより具体的かつ総合的に解明することが可能になったと思われる。
田原 昇(徳川林政史研究所)
徳川林政史研究所では、全国森林管理局所蔵史料調査の一環として中部森林管理局(長野市)の調査を平成15年に開始し、同19年に一応の完了をみた。その結果、約3000点の史料が目録となり全容が明らかとなった。今回その成果を所蔵史料のうち木曽御料林関係文書を軸に報告する機会を得た。ここにその概要を述べたい。
中部森林管理局は、平成15年の統廃合以前、南北信・木曽などを所管する本局(旧長野営林局)と、東濃・飛騨・富山などを所管する名古屋分局(旧名古屋営林局)とに分かれていた。しかもそれ以前から複雑な所管の変遷をたどっている地域でもあり、同局所蔵史料の残存状況にも影響を与えていた。 すなわち、明治19年(1886)の大小林区署制施行までに、中部地方の官林の多くは農商務省山林局直轄となる。が、同22年、宮内省御料局が設置され、長野県西筑摩郡・岐阜県恵那郡の官林は御料局木曽支庁(岐阜市)所管、長野県上下伊那・諏訪郡の官林は同局静岡支庁所管の御料林となる。この結果、同地方では御料林と官林(北信は松本大林区署、飛騨は岐阜大林区署所管)が併存する形となる。しかも、同25年に木曽支庁の名古屋移転(名古屋支庁と改称)、同36年の木曽支庁再置(西筑摩郡福島町)など改編が続き、大正3年(1914)の静岡支庁廃止でようやく木曽・名古屋両支局(支庁から改称)体制が確立する。そして昭和22年(1947)の林政統一の際、木曽支局は長野営林局、名古屋支局は名古屋営林局となる。また、北信の官林は大正2年に東京大林区署に移管され林政統一時に長野営林局に統合、飛騨の官林は石川(明治22)→長野(同26)→石川(同30)→大阪(同36)の各大林区署所管をへて林政統一時に名古屋営林局に統合される。
何れにしても、こうした複雑な所管の変遷が、そのまま中部森林管理局所蔵史料の残存状況の特徴となる。 もちろんこの変遷の最中にも文書の一部が整理されている。明治33年頃、御料局設置後に農商務省から移管された木曽山林関係文書の調査を木曽支庁が行い、以後、明治39年頃・昭和15年頃・同58年・平成8年に再調査、その都度改訂した仮目録が同局には残っている。よって、長野本局所蔵分の約三割が整理済みで「整」「別」と分類ラベルが貼付してある。そこで今回の調査は、この整・別文書の再確認と未整理文書の調査が作業の中心となった。結果、局内での保管箇所に応じた10分類にまとめることができた。
長野本局分(2334点)は、①整…文書庫保管のうちラベル「整」が貼付(528点)、②別…文書庫保管のうちラベル「別」が貼付(172点)、③新…文書庫保管未整理文書のうち今回調査分(1418点)、④補…文書庫内で上記三分類とは別置された未整理文書のうち今回調査分(216点)の四分類。旧名古屋分局分(611点)は、⑤図書室…同室で保管(113点)、⑥別箱…分局内で保管箱に入れて別置(9点)、⑦計画課…同課が保管(147点)、⑧計画第二課…同課が保管(122点)、⑨施行案…計画課文書庫保管の施行案の一部(74点)、⑩林政史…林政史編纂事業で作成した筆写史料の稿本(146点)の六分類である。 このうち、長野本局の①整・②別は、前述のとおり農商務省山林局から御料局への移管文書で、事実、明治20年以前の山林局作成文書が多い。対して③新・④補は、明治21年~昭和21年に御料局(帝室林野局)作成の文書が多く、林政統一以前に利用された木曽御料林関係書類を長野営林局が引き継いだものである。 長野本局分に比べて旧名古屋分局分は、いずれの分類も作成年代にまとまりがない。が、同分局分には旧幕時代の文書が⑦計画課などに26点見出せ、長野本局に旧幕史料がないのとは対照的である。この旧幕史料とは飛騨国北部の御林帳などで、同地方を所管した大阪大林区署が林政統一に際し名古屋営林局に移管したものである。また、同分局分には岐阜県内の各営林署に関する文書が多数ふくまれるなど、全般に大阪大林区署引継文書であると考えられる。 このように中部森林管理局所蔵史料は、複雑な所管変遷の中で漸次移管され、その時々の利用の姿を維持しつつ長野本局・名古屋分局に集約されていったものであるといえよう。 研究への活用 よってこれら所蔵史料は、各分類ごとに移管元での有り様を意識して活用するのが望ましいといえる。例えば、明治14~22年に御料林編入にむけて農商務省山林局が作成した西筑摩・諏訪・上下伊那など各郡別の概況報告(75点)は、すべて①整(山林局→御料局移管文書)である点が意味深いと考えられる。何れにしても中部森林管理局の史料は、木曽など御料林を多く有した地域の歴史を解明する材料の宝庫で、その文化を知る貴重な遺産であるといえよう。
太田尚宏(徳川林政史研究所)
本報告では、筆者が勤務する徳川林政史研究所が主体となって実施している九州森林管理局所蔵史料調査の概要、ならびに国有林史料の今後の保存・活用のあり方、の二点について報告した。 九州森林管理局の所蔵史料は、庁舎各階にある複数の書類庫に保存され、その総数は1万点を超えるものと推定される。調査では、いまだ目録化されていない江戸時代から昭和22年(1947)の林政統一までの文書類を主な対象とし、史料一点ごとに目録データを採録して、今後の保存・活用に備えることにしている。 このほど整理を終えた庁舎五階の「書類庫」(国有林野管理課・計画課)には、福岡藩領・豊後臼杵藩領の村々に関する「御山帳」「拝領立山根帳」「下苅御山帳」などの古文書が「参考」と明記されて保存されていたのをはじめ、明治期以降の例規類・山林簿・官林台帳・官有財産関係・下戻関係・年期貸付関係・施業案・経営案・森林調査簿など、約3600点の史料を確認することができた。これらの史料は、諸藩の直轄林や入会山が、明治期以降、県の所管を経て国有林に編入され、管理・育成されていく様相を具体的にたどることができる貴重なものばかりであった。 また、現在調査中の二階「大会議室」脇倉庫(計画課)には、明治12年(1879)に作成された鹿児島県内の町村に関する「竿次帳」(各筆ごとに地字・地番・地目・反別・所有者を記録したもの)や、同15~16年より記入が開始された同地域の「地券台帳」などが、荒縄に縛られた状態で大量に残されていた(二回の調査を終えた時点で397点を整理)。これらは、地租改正事業の一環として進められた山林の官民有区分のために鹿児島県より鹿児島大林区署へ移管され、その後の組織改編に伴って熊本営林局(現九州森林管理局)へ引き継がれたものと考えられるが、その記載内容を見ると、山林のみにかかわらない広範な耕地の存在形態を知り得るものであり、森林管理局に所蔵されている史料が、国有林の管理・経営という点のみならず、地域の実態を知るうえでも極めて重要なものであることを如実に示す事例といえる。
続いて報告の後半では、右のように地域史料としても貴重な国有林史料を、いかに散逸の危機から守り、保存・活用していくかという点について言及した。 森林の保護・育成には、いうまでもなく長い年月を必要とする。そのため造林・育林などに関する文書類については、一般の文書管理規定などに見られるような単純な選別・廃棄の原則を適用しにくい性質を有している。森林管理局に国有林史料が大量かつ長期にわたって保存されてきたのは、こうした森林の育成・管理の持つ特性に基づくものと思われる。機関の統廃合や規模縮小を機に、こうした過去の森林育成・管理の蓄積・実績の痕跡である史料を廃棄してしまうことは、学術的にみた場合はもとより、行政的にみてもマイナスになる危険性が高い。 また、森林を維持・管理するという行為は、それぞれの地域における気候風土といった自然的・地理的条件に即して展開されてきたものである。各森林管理局における史料の残り方に際立った個性が見られるのはそのためでもある。国有林史料の保存を考えるにあたっては、地域に配慮した保存のあり方を模索する必要があるだろう。 全国森林管理局所蔵史料調査の直接的契機となったのは、森林管理局分局の本局への統合問題であり、調査目的の第一は、史料の廃棄・散逸の防止であった。一部の森林管理局では、一連の調査によって作成した史料目録が分局から本局へ史料を移管する際の引継台帳として機能するなど、この調査が史料廃棄・散逸を抑止する一定の効果をあげたものと考えている。 今回の調査によって、国有林史料が非常に高い学術的価値を有しており、研究上きわめて有意義な史料であることが判明した。しかし、このことでただちに国有林史料が“誰でも利用可能な公開された史料”として位置付けられたわけではない。森林管理局では、実務上のさまざまな問題を背景として、我々が作成した目録の一般公開に慎重な姿勢を見せている。これらの史料が真に“広く開かれた史料”となるためには、ねばり強く林野庁や森林管理局の理解を得るための努力をしていかなければならない。 一連の調査にあたり、林野庁・森林管理局は非常に協力的な姿勢で対応してくれている。しかし現場の認識では、保存された文書類に対する行政的価値と学術的価値との間にズレが存在しており、行政的に見て価値が乏しいと判断される史料は、廃棄されてしまう危険性が高い。今回の統廃合問題を機に、行政の現場で日々作成・保存されている文書類が、さまざまな分野で活用可能な学術的意義を有する史料でもあることを現場サイドにも広く認識してもらい、国有林史料が、実際の森林管理のみならず、環境史や地域史などにとっても極めて重要であるという点について、林野庁関係者と研究者の双方で認識を共有し、保存・活用のために前向きに対応していくというスタンスをとることが望ましいと思われる。
全国の森林管理局の所蔵史料については、2007年4月7日の『日本経済新聞』への紹介記事掲載以来、多くの人びとの関心を呼び、公文書の保存問題に熱心な福田康夫氏が首相になったことも重なって、国立公文書館への移管という“恒久的保存”への道筋がつけられることになりました。 その経緯をまとめると、以下のようになります。
2007年
4月7日 | 『日本経済新聞』文化欄に「国有林資料 廃棄の恐れ」が掲載される。 |
4月9日~10日 | 日本学術会議総会で上記の記事がとり上げられ、国有林資料に関する保存について議長声明を出すべき旨の発言があり、大方の賛同を得る。 |
4月中頃 | 衆議院議員の福田康夫氏(当時)が、国立公文書館館長および森林管理局に対し、記事の内容について照会を行う。 |
4月24日 | 衆議院議員の滝実氏が国有林資料の保存をめぐって質問主意書を提出する。 |
5月19日 | 東京大学農学部で研究報告会「国有林史料の保存と活用にむけて」を開催し(主催:徳川林政史研究所・林業経済学会・地方史研究協議会)、主要な調査メンバー4名が報告を行う。参加者は、日本学術会議関係者や研究者、林野庁の現役・OBの職員、一般市民など79名で、活発な議論が行われる。 |
9月末頃 | 首相に就任した福田康夫氏が国立公文書館館長に対し、「国有林資料の問題は、移管をしっかりとやってもらいたい」と指示を出す。 |
9月末~10月初め頃 | 国立公文書館館長が農水事務次官のもとを訪れ、国有林資料を第一に掲げた「移管が望ましい文書例」を手交する。 |
10月15日 | 林野庁が各森林管理局に対し、国有林資料(昭和20年以前の全文書など)の国立公文書館への移管を正式に通達する。 |
11月1日 | 林野庁が、国有林資料の国立公文書館移管に関する「細部事項」を通達、これにしたがって、各森林管理局では、移管への準備を具体化させる。 |
2008年
3月7日 | 国立公文書館の平成19年度移管文書リストに国有林資料が搭載されたことが確認される。移管は、平成20年度以降に順次実施される予定。 |
研究員の萱場真仁、研究生の櫻庭茂大・仲泉剛の3名が、国立公文書館つくば分館に所蔵されている国有林史料の調査を実施しました。昨年度に引き続き、全国の森林管理局に所蔵されていた明治~大正期に作成された東北・中部地方の施業案説明書を中心に閲覧・撮影を行いました。 撮影史料点数は30点、撮影コマ数は2011コマでした。
研究員の萱場真仁、研究生の塚田沙也加・櫻庭茂大の3名が、国立公文書館つくば分館に所蔵されている国有林史料の調査を実施しました。今回は、全国の森林管理局に所蔵されていた林政関係史料のうち、明治期の林業施業案説明書の閲覧・撮影を行いました。 撮影史料点数は27点、撮影コマ数は約1480コマでした。
研究員の萱場真仁、研究生の塚田沙也加・井浪直人・櫻庭茂大の4名が、国立公文書館つくば分館に所蔵されている国有林史料の調査を実施しました。今回は中部森林管理局から移管された林政関係史料のうち、近代の王滝村、西筑摩郡関係の史料を中心に閲覧・撮影しました。 撮影史料点数は28点、撮影コマ数は約3870コマでした。
研究員の藤田英昭と芳賀和樹、研究生の萱場真仁と桐生海正の4名が、東北・中部・四国森林管理局から移管された林政関係史料を閲覧・撮影しました。 撮影コマ数は約4700コマでした。
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