生育する植物の集団、つまり植生の分布を規定するのは主に降水量と気温です。 世界の降水量は著しく不均質で、基本的に降水量の少ない方から、砂漠・草原・サバンナ・森林という多様な植生が生じます。 森林は林地(その森林が占める土地・土壌)と林木の総称で、林木とはあるまとまった広さをもって群生する高木を指します。高木とは、樹高が目安として5メートル以上となり、幹と枝が区別できる樹木をいいます。 この森林が成立する地域では、降水量の季節的な偏りに加え、気温の影響によって、さまざまな種類の森林が成立します。こうした、植生の分布範囲の区分を植物帯と呼び、森林で表現した植物帯を森林帯と呼びます。 日本は充分な降水量を持ち、南北で気温差が大きいため、多様な森林が成立します。 日本の森林帯については種々の議論がありますが、ここでは吉良竜夫氏と只木良也氏の説を中心に、人為的な影響のない本来の基本的な森林分布を、別掲の図を参照しながら概観してみましょう。 なお、森林帯は、主に南北の気温差に基づく水平分布と、主に標高の高低の気温差に基づく垂直分布によって表されます。ここではまず、水平分布について述べることにしましょう。
北海道中部・東部の亜寒帯には常緑針葉樹林が分布します。常緑針葉樹は一年を通じて落葉することのない針葉樹で、樹種としてはトドマツやエゾマツなどです。 本州の中部から東北地方、北海道西部にかけての冷温帯には落葉広葉樹林が分布します。落葉広葉樹は冬に落葉する広葉樹で、特にブナやミズナラが多く生育し、その他にカシワ・トチ・ホオ・カエデ類・カツラ・シナなどの樹種が混生します。北海道低地部も冷温帯ですが、ブナは生育せず、ミズナラ・カエデ類などの落葉広葉樹とトドマツやエゾマツなどの常緑針葉樹が混生します。 北陸・東北地方の沿岸部と近畿・中国・四国・九州地方の暖温帯には、照葉樹林が分布します。照葉樹は冬でも落葉しない常緑広葉樹の一種で、葉の表面が日光に反射して輝くことから、この名称で呼ばれます。樹種は特にシイ類・カシ類が多く、その他にタブ・クス・ツバキ・イスなどが混生します。ただし、暖温帯であっても、本州内陸の一部などでは冬の寒さが厳しいために照葉樹が生育できず、コナラ・クリ・シデ類などが分布します。 最後は、沖縄や奄美諸島などの亜熱帯の多雨林です。カシ類やシイ類の照葉樹に、アコウ・ガジュマル・サキシマスオウなどの亜熱帯の樹木や木生シダが混生します。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽吉良竜夫『吉良竜夫著作集1 日本の森林と文化―里山論への視点―』(新樹社、2011年) ▽只木良也『森林環境科学』(朝倉書店、1996年) ▽只木良也『新版 森と人間の文化史』(日本放送出版協会、2010年)
標高が100メートル高くなると、気温は約0.6℃低下します。この温度差が水平分布と同様に森林分布の変化をもたらします。 垂直分布では、水平分布の暖温帯に相当するものを低山帯、冷温帯に相当するものを山地帯、亜寒帯に相当するものを亜高山帯と呼びます。基本的に、水平分布と垂直分布で生育する樹種は同じですが、本州の亜高山帯については、シラビソ・オオシラビソ・コメツガ・トウヒなどが生育し、北海道中部・東部の亜寒帯とは異なっています。 さらに、亜高山帯より標高が高く、寒帯に相当するのが高山帯です。高山帯には、低木のハイマツが生育するだけで森林は成立しないため、亜高山帯と高山帯との境界を森林限界といいます。 なお、垂直分布の各帯の境界は、標高の値によって一律に設定されたものではないため、北上して気温が低下すれば、垂直分布の各帯の境界や森林限界も低くなります。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽吉良竜夫『吉良竜夫著作集1 日本の森林と文化―里山論への視点―』(新樹社、2011年) ▽只木良也『森林環境科学』(朝倉書店、1996年) ▽只木良也『新版 森と人間の文化史』(日本放送出版協会、2010年)
樹木には、葉の形態が広くて平らな広葉樹と、針のように細くて硬い針葉樹があります。 広葉樹は、「闊葉樹」とも呼ばれます。広葉樹の樹冠(樹木の枝葉の部分)は一般的に丸みを帯びた形ですが、針葉樹の樹冠は一般的に円錐形になっています。ただし、例えばイチョウが扇形の葉と丸みを帯びた樹冠を持ちながらも分類上は針葉樹とされているように、必ずしも葉と樹冠の形態だけでは、針葉樹か広葉樹かを区別することはできません。 そして、広葉樹が主に成育している森林を広葉樹林、針葉樹が主に生育している森林を針葉樹林と呼びます。 また、樹木は葉の落ち方でも二つに分類されており、常に葉を付けている常緑樹と、一年のある時期に全部の葉を落とす落葉樹とに分けられます。ただし、常緑樹も葉が落ちないわけではなく、一部の葉だけが落ちて新しい葉と入れ替わることを毎年繰り返しています。日本の落葉樹は一般的に冬に落葉し、春に芽吹いて夏には濃い緑をたたえ、秋には紅葉するという、四季の変化に富んでいる点が特徴です。 さらに、この二つの分類を組み合わせることで、樹木は、常緑広葉樹・落葉広葉樹・常緑針葉樹・落葉針葉樹の四種に分けられます。このうち、東アジアの常緑広葉樹は、冬の寒さに抵抗するために葉は小さく厚くなり、表面にろう質膜と呼ばれる膜があって日光を受けて輝くため、特に「照葉樹」と呼ばれています。
葉の形態 | 葉の落ち方 | 主な樹種 |
広葉樹 | 常緑広葉樹(照葉樹) | シイ クス タブ アカガシ シラカシ ウバメガシ イスノキ ツゲ ツバキ クスノキ など |
落葉広葉樹 | ブナ クヌギ コナラ ナラ カシワ クリ アベマキ クルミ トチノキ ケヤキ ホオノキ カツラ サクラ シオジ ハリギリ ハンノキ など | |
針葉樹 | 常緑針葉樹 | スギ ヒノキ サワラ アカマツ クロマツ ヒバ(アスナロ ヒノキアスナロ) ヒメコマツ ネズコ モミ シラベ トドマツ エゾマツ トウヒ ツガ コウヤマキ カヤ など |
落葉針葉樹 | カラマツ イチョウ など | |
竹 類 | マダケ モウソウチク ヤダケ クロチク メダケ ネマガリダケ クマザサ など |
常緑広葉樹・落葉広葉樹・常緑針葉樹・落葉針葉樹は、それぞれ生育可能な降水量・気温などの条件が異なりますが、日本は降水量が豊富な上に南北の気温差が大きいため、多様な樹種が生育し、多様な森林が成立しています。 さらに、日本の冷温帯・暖温帯・亜熱帯の広葉樹林には、多くの種類の針葉樹が混生するという特徴があります。これらの針葉樹の多くは、広葉樹との競争に負けて優良な土壌に生育できず、岩石地・急斜地・尾根筋などの土壌的に不良な場所に群生・点生しています。針葉樹が冷温帯・暖温帯・亜寒帯の広葉樹林のなかに群生・点生するという日本の森林の特徴は、おのずと木材利用にも大きな影響を与えることになりました。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽四手井綱英『森林』(法政大学出版局、1985年) ▽只木良也『森林環境科学』(朝倉書店、1996年)
ここでは、日本において広葉樹・針葉樹の木材がどのような用途で利用されてきたのかを見てみましょう。明治38年(1905)に刊行された諸戸北郞氏の『大日本有用樹木効用編』(増訂版)には、樹種ごとの方言・産地・性質と、刊行当時における用途などが詳細に記されており、巻末には「樹木利用ノ区分」と題して、木材・樹皮・実の用途が示されています。同書が著された明治後期は、資本主義発展のもとで木材の需要が急増するとともに、その用途も前近代以来のものに加えて多様化した時代でした。したがって、同書に記された明治後期における木材の用途を検討することで、前近代以来の日本における木材利用の特徴と、資本主義発展を支えた多様な木材用途の様相を明らかにできます。
主な木材用途の種類 | 主に用いられた樹種 | ||
広葉樹 | 針葉樹 | ||
家屋建築 | 梁 | ケヤキ カツラ | クロマツ カラマツ ヒノキ スギ |
柱 | ケヤキ | ヒノキ スギ アスナロ ツガ トウヒ モミ サワラ アカマツ クロマツ | |
桁・母屋・棟木 ・貫・垂木など |
― | ヒノキ スギ クロマツ モミ カラマツ ツガ アスナロ トウヒ | |
床板 | キリ クリ | ヒノキ スギ マツ モミ カラマツ エゾマツ アカエゾマツ トドマツ ヒメコマツ サワラ アスナロ トウヒ | |
土台 | ケヤキ クリ シイ | ヒノキ アスナロ カラマツ スギ コウヤマキ イヌマキ | |
天井板 | ― | 神代スギ ヤクスギ ネズコ スギ サワラ モミ アスナロ アララギ コウヤマキ イヌマキ | |
戸・障子・襖 | キリ | スギ ヒノキ アスナロ トウヒ ネズコ シラベ モミ サワラ ヒメコマツ ゴヨウマツ | |
造船 | 船体 | ケヤキ クリ ブナ カツラ クスノキ | ヒノキ クロマツ アカマツ カラマツ スギ アスナロ カヤ |
帆柱 | ― | スギ ヒノキ | |
橋橋梁工事 | ケヤキ | ヒノキ アカマツ スギ コウヤマキ アスナロ カヤ | |
土木工事 | 鉄道の枕木 | クリ シオジ ナラ | アスナロ ヒノキ カラマツ クロマツ |
電柱 | ― | スギ ヒノキ アスナロ カラマツ コウヤマキ | |
鉱山の坑木 | クリ ナラ ケヤキ | ヒノキ カラマツ マツ類 アスナロ コウヤマキ カヤ | |
水道・水路の堰など | ― | ヒノキ クロマツ アカマツ アスナロ カラマツ スギ コウヤマキ カヤ | |
製紙 | デロ ヤマナラシ ハンノキ ブナ | モミ類 トウヒ類 ツガ カラマツ アカマツ | |
道具・器具作製 | 桶・樽 | クリ ナラ | サワラ スギ コウヤマキ ネズミサシ ヒノキ アスナロ |
曲げ物 | ホオノキ | トウヒ サワラ ネズコ ヒノキ ヒメコマツ アスナロ シラベ スギ | |
膳・椀・盆類 | ケヤキ クスノキ トチノキ キハダ エンジュ シオジ ホオノキ キリ シイ クワ イヌエンジュ マユミ エゴノキ カツラ カバ カエデ イタヤカエデ アカメガシワ ブナ タカノツメ コブシ ミズメ ヤマハンノキ ミズキ ズミ | アスナロ ヒノキ ナギ スギ マツ アカマツ アララギ ヒメコマツ | |
机・椅子などの家具 | キリ クスノキ ケヤキ トチノキ マメガキ ハコヤナギ クルミ サワグルミ ナシ カリン シオジ ウルシ クワ ハリギリ センダン カエデ類 ケンポナシ チャンチン ホオノキ カツラ ゴンゼツ エンジュ キハダ サクラ イスノキ クリ ムクロジ ヤチダモ ナラ ニレ ブナ | 神代スギ イブキビャクシン アララギ ヒノキ ネズコ モミ トウヒ アスナロ マツ類 | |
農具 | カシ類 シイ ホオノキ ケヤキ サクラ カツラ イスノキ ナラ イヌエンジュ トチノキ クリ ハリギリ センダン クスノキ イタヤカエデ | ヒノキ マツ スギ モミ | |
人力車・馬車・列車などの車両作製 | カシ類 ケヤキ ニレ シオジ ヤチダモ ハリギリ ナラ | サワラ ヒノキ マツ類 トウヒ | |
薪炭生産 | 薪 | カシ類 クヌギ ナラ ヒイラギ カマツカ カエデ類 トネリコ ケヤキ サクラ | マツ |
白炭 | ウバメガシ アラガシ アカガシ シラカシ ヒイラギ バクチノキ ウシコロシ シデ類 ナラ ケヤキ リョウブ マンサク トネリコ ネジキ カエデ類 ツツジ サルスベリ ヤマコウバシ ブナ ホオノキ ツバキ サクラ類 | ― | |
黒炭 | クヌギ ナラ カシ類をはじめとする全ての広葉樹 | イチョウ カヤノキ イヌマキなどの針葉樹の枝 |
まず、主な木材用途の種類に目を向けると、家屋建築などのように前近代以来の用途が多いなかで、鉄道の枕木や電柱、人力車・馬車・列車などの車両作製といった明治期を特徴付ける用途が見られます。特に鉄道の枕木は、日本の資本主義発達を支えた代表的な木材の用途でした。このほか、鉱山の坑木も明治期以降には銅山や炭鉱の発展に伴って需要が急増しており、日本における重化学工業の発展を下支えした点で極めて重要でです。製紙についても、同書のなかで明治後期には針葉樹であるトウヒ類やツガなどを原料とするようになったことが言及されています。 次に、主に用いられた広葉樹・針葉樹の種類に目を向けると、上の表だけでは実際の生産量はわからないものの、家屋建築・造船・橋梁工事・土木工事・桶・樽・曲げ物などには主に針葉樹が使用され、膳・椀・盆類や家具類・農具・薪炭生産には主に広葉樹が使用されていたことがおおよそ読みとれます。このうち、特に家屋建築・造船・橋梁工事・土木工事・桶・樽などに主として針葉樹が利用されたのは、日本の木材利用の大きな特徴です。 広葉樹の木材は硬材(ハードウッド)と呼ばれ、一般的に重くて硬いですが、一方の針葉樹の木材は軟材(ソフトウッド)と呼ばれ、広葉樹に比べて柔軟で加工しやすい性質を持っています。また、針葉樹は幹が真っ直ぐで、広葉樹のように狂いの生じることが少なく、家屋建築などのための用材に適しています。また、広葉樹は成長が遅く、発芽してから用材として利用できるようになるまでの期間が長いですが、針葉樹は成長が早く、発芽してから用材として利用できるようになるまでの期間が短いことも、針葉樹が用材として優れている理由です。 こうした家屋建築・造船・橋梁工事・土木工事・桶・樽・曲げ物などに対し、薪炭生産には主に広葉樹が利用されました。日本の広葉樹のなかでも、特にクヌギ・カシ・ナラなどは、良質の薪炭を生産することができる樹種です。『大日本有用樹木効用編』では、クヌギは日本の薪炭材の王と称するべきもので、薪としてはクヌギに勝るものはほとんどなく、木炭としては火もちはカシに次ぎ、有名な佐倉炭・池田炭の生産に用いると述べられています。また、同書では、カシ類のなかでも特にウバメガシについて、最も上等な炭である備長炭を焼くのに用いると記されています。 この佐倉炭・池田炭は「黒炭」と呼ばれる炭であり、備長炭は「白炭」と呼ばれる炭です。黒炭と白炭では、製炭方法の大筋は同じですが、最後の消火の仕方が違います。黒炭は炭窯を密閉することで消火するため、黒いままなのに対し、白炭は炭窯から炭を取り出して灰をかけて消火するため、表面が薄白くなります。そのため、黒炭・白炭と呼ばれたのです。黒炭は火つきは良いが火もちが短く、白炭は火つきは悪いが火もちが長いという特徴があります。 広葉樹は、成長は遅いですが、薪炭生産には手頃な太さの木材が適しているので、10~20年前後で伐採・利用できます。また、クヌギ・カシ・ナラなどの広葉樹は、萌芽更新が期待できるので、伐採後の根株から出た芽を育てることで、再び10~20年前後で伐採・利用することができましたた。 なお、マツは針葉樹ですが、樹脂を多分に含み、薪にすれば火力が強く、製塩・製陶用の燃料としては最適であったといわれています。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽諸戸北郞編著『大日本有用樹木効用編』(増訂版、嵩山房、1905年、初出は1903年) ▽石村真一『桶・樽』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(法政大学出版局、1997年) ▽岸本定吉『炭』(創森社、1998年)
ある地域の植生が、時間の経過とともに自然に交代し、移り変わっていく現象を生態遷移(以下、遷移と省略)といいます。 例えば、鹿児島県桜島の噴火で生じた新しい溶岩流の上では、約20年後に地衣類やコケ類が生育し始め、約50年後にタマシダ・イタドリ・ススキなどの草本、約100年後にヤシャブシ・ノリウツギ・クロマツなどの低木林が生育するようになり、次いでネズミモチ・シャリンバイなどの混生するクロマツ林が展開し、約150~200年後にアラカシ林、約500~700年後にタブ林が生育するという植生の連続的な交代がみられました。 このタブ林のように、遷移がもうそれ以上進行しなくなった最終的な植生を「極相」と呼び、極相が森林である場合には、特に極相林ともいいます。このように、裸地から森林が成立するまでには、長い年月の経過が必要となります。 遷移における植生の交代には一定の順序があり、この順序を遷移系列と呼びます。遷移系列は遷移が始まる場所の環境条件によって、いくつかに類別されています。主要な遷移系列には、①先述した桜島の溶岩流の上など、乾燥した場所から始まる乾性遷移系列、②湖や池、川の中州など、湿潤な場所から始まる湿性遷移系列、③海岸・山地を問わず、砂地から始まる砂性遷移系列などがあります。 なお、植物の種子や胞子、根の切れ端など、繁殖のための材料が一切ない場所で始まる遷移を一次遷移といいます。これに対して、火事や風倒、伐採などの環境変化によって、遷移の進行が停止あるいは後退したとき、そこから再び始まる遷移を二次遷移といいます。つまり、植物の種子や根の切れ端などの繁殖の材料が含まれている場所から遷移が再開することになります。二次遷移によって成立した森林を「二次林」といいます。 遷移では、まず最初に、遷移の始まる場所の環境条件に耐性を持つ植物が生育します。この遷移系列の先頭に位置する植物を先駆植物と呼び、①乾性遷移系列では乾燥に強い植物、②湿性遷移系列では水分の多さと水の動きに適応できる植物、③砂性遷移系列では風で移動する砂に適応できる地下茎が発達しやすい植物などが該当します。 遷移の過程では、植物がその生育地の環境条件を改良することで、より優位な植物が生育可能になり、次第に植生が移り変わっていきます。この遷移の仕組みについて、①乾性遷移系列を例に、別掲の図を参照しつつ説明します。
まず、乾燥した裸地に、乾燥に強い地衣類やコケ類が小集団をつくります。次いで、これら先駆植物の枯死体が分解され、火山の噴火に伴う火山灰や風化によって生じた砂と混ざって有機物を含んだ土壌を形成し、水分の保持が充分になると、種子植物が生育できるようになります。 初めは一年生草本の草原、次に多年生草本の草原が成立します。一年生草本とは、種子から発芽して、その年のうちに種子を残して枯死する草本で、多年生草本とは、ススキなど生育期間が一年以上の草本です。 この草原はやがて陽性低木林となり、陽性高木林を経て、最終的には陰性高木林になります。この過程でも、植物の枯死体や落葉・落枝が分解され、土と混ざって土壌条件が改良されます。陽性・陰性とは、陽光要求度の強弱であり、陽性の樹木(陽樹)の稚樹は、その母樹の下では陽光が不足して生育できません。一方、陰性の樹木(陰樹)の稚樹は、その母樹や陽樹の下の日陰でも生育できます。 したがって、ある陽性低木林の下では、その稚樹は生育できず、改良された土壌条件で生育可能な、より陰性の強い陽性高木林や陰性高木林が展開します。やがて最終的には、その地域の気候のもとで生育できる最も陰性の強い陰性高木林に至ります。 極相は基本的に気候によって規定され、日本のように降水量が充分な地域では、遷移の進行が比較的早く、極相は基本的に森林、特に陰性高木林となります。陰性高木林の下でも、その稚樹は生育できるので、火事などがない限りは、この植生が永続していくと考えられています。亜寒帯の常緑針葉樹林、冷温帯の落葉広葉樹林、暖温帯の照葉樹林、亜熱帯の多雨林は、日本の各気候帯の基本的な極相林です。ただし、極相を規定するのは気候だけではなく、このほかにも土壌条件や地形条件が影響します。 極相林では、老齢の樹木が枯死したり、台風などで倒れたりして部分的に穴があくと、そこでは陽光が地表まで射し込むため、地表の稚樹や若木が成長して、その場所だけで小規模な二次遷移が起こります。極相林はこうした部分的補修を伴いながら、全体としては同じ外観を維持していきます。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽大島康行「生態」(荒木忠雄ほか『図説生物学』、朝倉書店、1979年) ▽田川日出夫『生態学講座6巻 11-a 生態遷移Ⅰ』(共立出版、1973年) ▽只木良也『森林環境科学』(朝倉書店、1996年) ▽只木良也『新版 森と人間の文化史』(日本放送出版協会、2010年)
人工林・天然林・原生林の区分の仕方はさまざまです。ここでは、森林の世代交代の方法による区分を中心に説明しましょう。 樹木が枯死したり、台風や火災などの自然災害によって破壊されたり、伐採されたりして、後述する人為的な方法や天然の力によって次世代の森林が育ち始め、森林の世代が交代することを更新(こうしん)といいます。 更新には大別して二種類あり、植林などの人為的な方法を用いて次世代の森林が育ち始めるように導く場合を「人工更新」と呼び、天然の力、つまり樹木の持つ繁殖機能によって次世代の森林が育ち始める場合を「天然更新」と呼んでいます。 このうち、人工更新によって成立した、あるいは成立過程にある森林を「人工林」といい、天然更新によって成立した、あるいは成立過程にある森林を「天然林」といいます。天然林のなかでも、伐採や天然更新を補助する作業などの人為を加わえ、積極的に天然更新を促した森林については「天然生林」などと呼び、天然林と区別したり、人工林に含めたりすることもあります。
区分 | 国有林 | 公有林 | 私有林 | 合計 | |||||
面積 | 割合 | 面積 | 割合 | 面積 | 割合 | 面積 | 割合 | ||
立木地 | 天然林 | 469 | 61% | 145 | 51% | 724 | 50% | 1338 | 53% |
人工林 | 236 | 31% | 125 | 44% | 674 | 46% | 1035 | 41% | |
その他 | 63 | 8% | 13 | 5% | 60 | 4% | 137 | 5% | |
合計 | 769 | 100% | 283 | 100% | 1458 | 100% | 2510 | 100% |
日本における天然林・人工林などの面積・割合(単位:万ha) 林野庁ホームページより(平成19年3月現在)
原生林は、狭義には人為が全く加わっておらず、重大な災害などの痕跡も残していないため、その立地環境における極相(きよくそう)に達している森林を指します。しかし、世界的にも厳密な意味での原生林はわずかです。したがって、広義には近年重大な自然災害の被害を受けておらず、過去に計画的な伐採が実施されていない極相林を原生林と呼んでいます。 林野庁ホームページより(平成19年3月現在) 極相林では、老齢の樹木が枯死したり、台風などで倒れたりして部分的に穴があくと、そこでは陽光が地表まで差し込むため、地表の稚樹や若木が成長して、その場所だけで小規模な二次遷移が起こり、天然更新を繰り返すことで永続していきます。こうした原生林は、天然林に含めて論じられる場合が多いです。日本では、青森・秋田両県にまたがる白神山地のブナの原生林がその代表といえましょう。 現在の日本における天然林と人工林の面積・割合は、上の表に示す通りです。全森林面積の約5割を天然林が占めています。 なお、天然林のほとんどは広葉樹林です。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽日本大学森林資源科学科編『改訂 森林資源科学入門』(日本林業調査会、2007年) ▽藤森隆郎『森林生態学』(全国林業改良普及協会、2000年) ▽木平勇吉『森林科学論』(朝倉書店、1994年)
人天然更新のうち、立木から種子が落下して発芽した稚樹による更新を「天然下種更新」と呼び、この場合に種子を生産する立木を母樹といいます。上述した極相林における天然更新は、主に天然下種更新によって行われます。 天然下種更新を積極的に促すためには、前提として、造林しようとする森林を伐採し、林床に陽光が差し込むようにする必要があります。さらに、伐採にあたっては、樹種によって種子の大きさや特徴が異なることに留意し、適切に母樹を配置しなければなりません。小さくて羽毛のような構造を備えている種子は、風によって運ばれやすいために遠距離まで飛散しますが、大きい種子は母樹の周囲に落下するので、この飛散距離を考慮して、母樹を配置する必要があるわけです。 例えば、カンバ類・ニレ類・アカマツ・クロマツ・ハンノキ・カエデ類・トネリコ類などは、種子の飛散距離が長いため、造林しようとする場所に隣接する母樹を利用します。一方、ブナ・ナラ類・トチノキなどは飛散距離が短いため、造林しようとする場所に母樹を残す必要があります。 また、同じ樹木でも、生産する種子の量は年によって異なり、豊作になる周期は樹種によって異なることにも考慮しなければなりません。 天然下種更新を補助する作業としては主に次の二つがあります。一つ目は、落ち葉の層の除去です。落ち葉の層が厚く堆積していると、発芽した稚樹の根が土壌まで到達できず、成長が阻害されたり枯死したりしてしまいます。この作業は、特にスギの天然更新において重要です。 二つ目は、林床のつる植物・ササ・雑草・陽性の低木類の刈り払いです。冷涼で乾燥した欧州の森林に対して、温暖で湿潤な日本では、森林が伐採されて陽光が差し込むと、林床の植物が繁茂し始めます。林床の植物が繁茂すると、稚樹に充分に陽光が当たらず、稚樹の成育を阻害することになります。この際に重要になるのが、陽性・陰性の度合いです。例えば、同じ針葉樹でも、ヒノキは陰樹ですが、スギは陽樹と陰樹の中間の「中庸樹」であるため、成育には陽光を比較的多量に必要とします。したがって、スギの天然下種更新を図るためには、林床の植物の刈り払いが重要となるわけです。 以上のように、自然の遷移に任せると稚樹の成育が困難で時間がかかるところを、落ち葉の層の除去や林床の植物の刈り払いによって天然更新を積極的に促すことで、目標とする森林を早く作り上げることができます。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽川名明ほか『造林学 ―三訂版―』(朝倉書店、1992年) ▽堤利夫編『現代の林学10 造林学』(文永堂出版、1994年) ▽日本大学森林資源科学科編『改訂 森林資源科学入門』(日本林業調査会、2007年)
天然更新のうち、広葉樹の根株からの発芽による更新を「萌芽更新」といいます。萌芽更新は、薪炭林などで古くから実施されてきました。 萌芽更新には、発芽の力と芽の生長力が強い樹種が適しています。萌芽更新が容易な樹種は、クヌギ・ナラ類・カシ類・シデ類・カエデ類・サクラ類・ブナ・シナノキ・ハンノキなどです。これに対して、萌芽更新が困難な樹種は、カンバ類・ヤシャブシなどになります。 萌芽更新では、伐採する位置が地表に近いほど、発芽の力と芽の成長力が強いといわれています。また、伐採する季節は、樹木の成長が止まる11月から3月までの期間が適しているそうです。伐採にあたっては、切り口を滑らかにすることも重要です。樹齢は、成長が旺盛な幼齢林・壮齢林が適しており、老齢林での萌芽更新を期待するのは難しいといいます。例えば、クヌギ・コナラでは樹齢40~50年以上になると切り株が枯死し、発芽しない割合が著しく高くなります。ブナは発芽の力の弱い樹種とされていますが、適切な伐採位置・伐採季節・樹齢を選択すれば、萌芽更新は容易であるといわれています。 天然更新のうち、多雪地帯の裏スギ・ヒバ(ヒノキアスナロ)などにみられる更新が「伏条更新」です。裏スギを例にとると、下枝が枯れにくく、枝が下に垂れており、積雪によって下枝が地面に接すると、そこから根を出し、やがて母樹との繋がりが切れて独立の個体になります。日本海側の多雪地帯に分布する天然生のスギは、多くがこうして生育したものです。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽川名明ほか『造林学 ―三訂版―』(朝倉書店、1992年) ▽堤利夫編『現代の林学10 造林学』(文永堂出版、1994年) ▽日本大学森林資源科学科編『改訂 森林資源科学入門』(日本林業調査会、2007年)
植林などの人為的な方法を用いて、次世代の森林が育ち始めるように導く場合を「人工更新」と呼び、人工更新によって成立した、あるいは成立過程にある森林を「人工林」といいます。 天然更新は、その場所に成育している樹種と同じ樹種の森林を仕立てることになりますが、人工更新は目的に合わせて、その場所に成育していない樹種や天然更新では成育が困難な樹種の森林を仕立てることができます。また、人工更新は、適切な技術を用いれば、目的とする森林を容易・迅速・確実に成林させ、利用することができる特徴を持っています。 戦後、日本では昭和20年代なかばから昭和40年代なかばにかけて大規模な造林が進められました。特に、昭和30年代以降には、石油やガスへの燃料転換によって薪炭の需要が低下するとともに、高度経済成長によって建築用材の需要が急増したため、主に広葉樹からなる天然林を伐採して、代わりに針葉樹の人工林を仕立てる拡大造林が進められました。こうした戦後における人工林の造成では、針葉樹のなかでも成長が速く、建築用材に適したスギ・ヒノキが積極的に導入されました。 現在の日本における人工林の面積・割合は、全森林面積の約4割を占めています。なお、人工林のほとんどが針葉樹林であり、スギが約4割、ヒノキが約3割を占めています。 人工更新の方法には、植栽・播種・直挿しなどがあります。このうち植栽は、造林する場所(造林地)に苗木を植え付ける方法で、播種は、造林地に種子を直接播き付ける方法です。直挿しは、母樹から伐り取った枝の一部を造林地に直接挿したり(主にスギ)、埋め込んだりして森林を仕立てる方法です。直挿しが容易な樹種は、スギ・ヒノキ・ヒバ(アスナロ・ヒノキアスナロ)などで、直挿しが困難な樹種はモミ類・トウヒ類・カラマツ・マツ類・ブナ・カンバ類・クリなどです。以下では、主要な人工更新の方法である植栽までの過程と、その後の保育過程について述べていきましょう。
①育苗
育苗とは、種子を採集し、植栽するための苗木を育てることをいいます。種子の採集にあたり、まず造林する樹種を選択します。例えば建築材としての価値が高い、成長が速いなど、目的に適した樹種を選択するのはもちろんですが、特に造林地の自然環境に適した樹種を選ぶ必要があります。植生・気候(気温・降水量・積雪・日照・風など)・地形・土壌(養分・湿潤・乾燥)などを考慮し、適地適木を念頭においた樹種の選定が重要になります。
種子を採集する母樹には、成育良好な壮齢林で枝張りや幹の形が良い立木が適しています。マツは30~50年生、スギは50~100年生、ヒノキは30~40年生の立木を選択するとよいようです。針葉樹では、一般に樹冠(樹木の枝葉の部分)上部の日当たりの良い枝から採取した種子が発芽率が高いとされてます。
種子の採集時期は、種子が自然に飛散する直前が最適ですが、短期間に採集を終えるのが困難であるため、やや早めの時期に採取することが多いといいます。例えば、スギ・ヒノキ・アカマツ・クロマツなどの種子は9月に採取されています。
針葉樹の種子の採取には、木に登って毬果をもぎ取る方法が採用されます。毬果とは、針葉樹類の果実を指し、マツの場合は松笠(マツボックリ)です。採取した球果を乾燥させ、裂けて開いたところで種子を取り、良いものを選んで貯蔵します。種子の貯蔵にあたっては、温度・湿度・酸素を管理することが重要です。また、アスナロの種子は1年、スギ・ヒノキの種子は1~2年、アカマツ・クロマツの種子は4~5年で発芽力を失うといわれています。
苗木の育成は、まず苗床を整地し、主に春に種子を播き付けて土をかけます。播き付けの方法は樹種によって異なりますが、スギ・ヒノキの場合には土を薄くかけます。しかし、土が薄いと土壌が乾燥して発芽不良となったり、降雨によって種子が叩き出されたりするので、これらを防止するために土の上にワラを敷きます。
スギ・ヒノキの種子が3~4週間で発芽すると、苗木を保護するために、日除けの設置・除草・施肥)・間引きなどを施します。その後、成長した苗木は床替えを行います。床替えとは、苗木を掘り取って他の床に移植することで、苗木の植栽間隔を広げて充分な陽光を与え、枝張りや根張りを大きくして優れた苗木を生産する効果があるとされてます。スギ・ヒノキは1~2回床替えし、2~3年間育てた2~3年生の苗木を造林地に植栽します。
③保育
保育とは、造林しようとする樹種が健全に成育できるよう、条件を整える作業のことをいいます。欧州に対して湿潤で温暖な日本では、苗木の植え付け後に雑草や広葉樹などが勢いよく成育するため、雑草などが繁茂した場合、苗木は陽光などを充分に得ることができずに枯死してしまいます。したがって、苗木が成育して、背丈が雑草などの高さを越えるまで、雑草などを刈り払う必要がります。この「下刈り」と呼ばれる作業は、毎年1~2回、5~6年間継続して実施する必要があり、保育作業のなかでも特に重労働であるとされています。さらに、苗木の背丈が雑草などより高く成長すると、つる植物が苗木に巻き付いて成育を阻害するため、2~3年ごとに「つる切り」と呼ばれる作業を施さなければなりません。
④除伐・間伐・枝打ち
下刈り・つる切りを終え、立木がしばらく成長すると「除伐」を実施します。除伐とは、造林しようとする樹種以外の立木や、造林しようとする樹種のなかでも成育不良の個体を除去する作業です。
その後、造林しようとする立木相互の間で生存競争が起こり、立木の間に成長の優劣が生じます。また、立木と立木の間隔が狭いと、次第に成長速度が低下します。このため、立木が適切に成長できるよう、成長不良の立木を伐採し、立木と立木の間隔を広げる「間伐」という作業が重要となります。間伐は4~5月あるいは9月頃に実施し、立木を最後にまとめて伐採・収穫する(間伐に対して「主伐」といいます)まで継続します。なお、間伐を実施する目的は、立木を間引きするためだけではなく、主伐までの間に徐々に収穫を上げるためでもあるといわれています。
間伐とともに「枝打ち」という作業も重要です。枝打ちは、木に登って鉈などで枝を切り落とす作業で、節ができるのを防いで良質な材木を生産することなどを目的としています。スギの場合は、枯死した枝が自然に早く落下するため、放置しても節をつくりませんが、ヒノキの場合は、枯死した枝が長期間残って節ができるので、枯死した枝の除去が重要となります。枝打ちは一般的に冬に実施します。
〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽川名明ほか『造林学 ―三訂版―』(朝倉書店、1992年) ▽堤利夫編『現代の林学10 造林学』(文永堂出版、1994年) ▽日本大学森林資源科学科編『改訂 森林資源科学入門』(日本林業調査会、2007年)
国有林とは、基本的に農林水産省林野庁が所管する森林を指します。このほか、環境省などが所管する国有林も存在します。 一方、公有林は地方公共団体が所有する森林であり、都道府県有林や市町村有林、財産区有林などが該当します。財産区とは、昭和22年(1947)の「地方自治法」に基づいた、市町村に準じる自治組織のことで、財産などの管理・処分を認められています。 残る私有林は、国有林・公有林を除いた森林の総称であり、林業家や社寺、企業などが所有する森林を指します。この公有林・私有林を合わせて民有林と呼び、国有林に対置されます。 現在の日本の国土に占める森林の割合はおよそ7割で、約2510万ヘクタールにも及びます。そのうち国有林は約3割、公有林は約1割、私有林は約6割を占めています。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽林野庁編『平成23年版 森林・林業白書』(全国林業改良普及協会、2011年) ▽半田良一編『現代の林学1 林政学』(文永堂出版、1996年) ▽塩谷勉『改訂 林政学』(地球社、1978年)
ここでは、近代日本における林野の所有権が、どのように確立されていったのかを見てみましょう。 江戸時代の林野は、実質的な所有関係に基づいてみると、領主林・村持ち林・個人持ち林に大きく分類できます。そのうち、領主林については、明治2年(1869)6月の版籍奉還によって諸藩から土地(版)と人民(籍)が朝廷に返上されると、明治政府は翌7月に旧領主林を「官林」として編入しました。これを「官林録上」と呼びます。 明治6年には、土地制度の抜本的改革を図って地租改正事業が開始されました。地租改正は、近代的な私的土地所有を確立して、得られる地租を国家財源の基礎に位置付けようとしたものです。林野の地租改正過程では、個人持ち林はともかく、村持ちの入会地のような所有関係のあいまいな土地が問題となり、こうした土地を官有地か民有地に区分する土地官民有区分が重要となりました。 林野の官民有区分の結果、大都市に近くて農民や地元商人による林業が展開し、林野に対する私的所有意識が高かった瀬戸内・近畿・東海・南関東では民有地が多くなり、近世において領主の林野支配権が強固であった東北・中部・南四国・南九州では、入会地を含む林野の多くが官有地(官有林野)に区分されました。 こうした林野の地租改正は約10年かけて実施されましたが、官有林野に編入された旧入会地をめぐっては、地元がその下げ戻しを要求して争論が頻発しました。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽太田尚宏「森林をめぐる明治維新」(徳川林政史研究所監修『江戸時代の古文書を読む―徳川の明治維新―』、東京堂出版、2011年) ▽萩野敏雄『日本近代林政の基礎構造』(日本林業調査会、1984年) ▽半田良一編『現代の林学1 林政学』(文永堂出版、1996年) ▽塩谷勉『改訂 林政学』(地球社、1978年)
ここでは、上述した「林野所有権の確立過程」を踏まえて、日本の国有林の制度的な来歴について説明しましょう。 明治2年(1869)7月の官林録上によって官林が創設されると、政府は同4年に「官林規則」を制定して官林経営の基本方針を示しました。当初、官林は府県に管轄させていましたが、政府は同11年から約10年をかけて、官林を政府直轄に順次移管しました。この際、同年にいち早く政府直轄化されたのが、青森・秋田・長野・岐阜県に所在する官林でした。 また、同22年には皇室財政の安定を図り、官林と官有林野のなかから御料林が創設されました。 さらに、同23年から同26年にかけては、残る官林・官有林野のなかから経営に適した林野(要存置林野)が選出されて、不要な林野(不要存置林野)と区別されました。 その上で、政府は同30年に「森林法」を制定し、これにあたって同年には、沖縄を除く官有林野についても府県管轄から政府直轄に移管して、官林と官有林野を合わせて「国有林」と呼称するようになりました。 この国有林の管理・経営を担当したのは山林局でした。当初、官林を所管した役所は民部省から大蔵省勧農寮へと移り、明治7年には内務省地理局が管轄するようになりましたが、同12年になると山林局が内務省に設置されて官林を直轄するようになり、同14年には山林局が農商務省(のちに農林省)に移って戦後まで存続しました。 ただし、北海道の国有林は内務省の所管で、山林局は府県の国有林を所管しました。御料林を管理するための組織としては、宮内省に帝室林野管理局(のちに帝室林野局)が設置されました。 明治30年代になると、木材・薪炭の需要が増大し、同32年には「国有林野法」が制定されて、国有林の本格的な経営が開始されました。この経営を国有林野特別経営事業と呼びます。山林局は、不要存置林野を売却して財源を確保すると、国有林の経営基盤の充実と木材供給力の増大を目的に、境界の確定、大規模造林、施業案(森林経営の計画書)の編成などを実施しました。さらに、同38年には直営伐採に積極的に取り組むようになりました。この特別経営事業は、大正10年(1921)まで継続されました。 本事業の終了後、国有林経営の方針は天然更新による保続的な経営に転換されましたが、戦中期には軍需を中心に急増する木材需要に対して、木材増産が図られました。 戦後、昭和22年(1947)には、山林局所管の国有林と内務省所管の北海道国有林、帝室林野局所管の御料林が農林省(のちに農林水産省)の下に移管され、現在の国有林が成立しました。これを「林政統一」といいます。また、同26年には「国有林野法」が全面的に改正されました。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽半田良一編『現代の林学1 林政学』(文永堂出版、1996年) ▽塩谷勉『改訂 林政学』(地球社、1978年 ▽秋山智英『国有林経営史論』(日本林業調査会、1960年) ▽林業発達史調査会編『日本林業発達史 上巻』(林野庁、1960年) ▽大日本山林会『日本林業発達史』編纂委員会編『日本林業発達史―農業恐慌・戦時統制期の過程―』(大日本山林会、1983年)
ここでは、上述した「林野所有権の確立過程」を踏まえて、日本の公有林の制度的な来歴について見てみましょう。 明治22年(1889)における町村制の施行にあたって、旧来の村が行政町村の「部落」(大字・区)として位置付けられると、土地官民有区分で民有地に編入された村持ちの旧入会地は部落有林となりました。また、財産区を設定し、財産区有林とする場合もありました。財産区とは、市町村に準じる自治組織のことで、財産などの管理・処分を認められています。ただし、「財産区」という名称は、昭和22年(1947)の「地方自治法」で定められました。 明治41年以降には、日露戦争後の経済不況に対し、政府は行政町村の財政改良などを目的とした地方改良運動を進めましたが、その一環として治水事業などを名目に、部落有林を町村有林に整理・統一する方策(部落有林野統一事業)を打ち出しました。 しかし、この事業は地主や農民の抵抗を受け、実際には公有林に整理・統一された部落有林の大部分が、部落に従来の入会権を認めるなどの条件付きで整理・統一されたものでした。さらに、この事業は昭和14年まで継続されましたが、部落有林として残った林野も多くありました。 整理・統一された公有林に対しては、大正9年(1920)に「公有林野官行造林法」が公布され、国家資金による造林などが進められました。 なお、明治20年代以降には、道府県有林も設定されましたが、御料林が恩賜林として移管された山梨県などの場合を除いて、道府県有林は一般に小規模でした。 戦後の公有林政策については、入会の規制が林野の高度な利用を妨げていることが問題とされました。戦前の部落有林野統一事業では、従来の入会権を認める形の整理・統一が大部分を占め、部落有林のまま入会林野として残った林野も多くありました。そこで、昭和41年には「入会林野近代化法」が制定され、入会権を有する者が円滑に近代的所有権を取得できるような法制度が整備されました。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽半田良一編『現代の林学1 林政学』(文永堂出版、1996年) ▽塩谷勉『改訂 林政学』(地球社、1978年) ▽林業発達史調査会編『日本林業発達史 上巻』(林野庁、1960年) ▽大日本山林会『日本林業発達史』編纂委員会編『日本林業発達史―農業恐慌・戦時統制期の過程―』(大日本山林会、1983年)
ここでは、上述した「林野所有権の確立過程」を踏まえて、日本の私有林の制度的な来歴を概観してみましょう。 明治30年代(1897~1906)には木材・薪炭需要が増大したため、大正期(1912~26)にかけて、地主層が部落有林や私有林を買い集め、積極的に造林を進めました。 公有林・私有林を含む民有林の政策については、明治30年に「森林法」が制定されましたが、内容は森林の保護・規制を中心とする消極的なものでした。同40年には林業生産の発展を背景に「森林法」が改正され、森林経営の振興を目的とする積極的なものとなりましたが、それが森林経営の発展に果たした役割は小さかったといわれています。 昭和4年(1929)になると、「造林奨励規則」が制定され、私有林などの造林に補助金が支出されるようになりました。この規則は、私有林に対する助成制度の出発点として画期的でした。また同7年からは、農業恐慌で疲弊した山村を立て直すため、林産物の商品化促進や林家経営の多角化などを目指す農山漁村経済更生運動が実施されました。 以上のように、昭和初期の林政は主に私有林を対象としていました。この時期には、すでに各種の政策が進められていた国有林・公有林に私有林を合わせて、日本の森林が全面的に林政の対象となりました。 戦時体制下では、昭和14年の改正「森林法」に基づいて、全国の町村ごとに強制加入の森林組合が設立されました。この法令によって、政府の意向が森林組合を通して民有林に貫徹できる体制が整えられ、軍需を中心とする木材需要の増大に対し、民有林も大量に伐採されました。 戦後、昭和21年以降には、農地改革によって地主の小作地・自作地面積が厳しく制限され、超過する部分は国によって買収されて小作農へ売り渡されましたが、山林については類似の改革は実施されませんでした。 また、同26年には新規に「森林法」が制定され、森林組合は加入と脱退が自由な協同組合として再編されるとともに、国の責任で民有林の森林資源管理を徹底する森林計画制度が採用されました。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽半田良一編『現代の林学1 林政学』(文永堂出版、1996年) ▽塩谷勉『改訂 林政学』(地球社、1978年) ▽林業発達史調査会編『日本林業発達史 上巻』(林野庁、1960年) ▽大日本山林会『日本林業発達史』編纂委員会編『日本林業発達史―農業恐慌・戦時統制期の過程―』(大日本山林会、1983年)
森林が人間生活に及ぼす機能は多面的です。大別すれば、用材・薪炭材を生産する直接的な機能と、水源涵養・国土保全・災害防止・快適な環境の形成などの間接的な機能の二つに分けることができます。 このうち、後者の機能は「公益的機能」とも呼ばれ、この機能を発揮させるために、法令などによって立木の伐採などが制限されている森林があります。その代表が保安林です。表には、現在における保安林の種類と機能・面積を整理しました。保安林全体の実面積は約1200万ヘクタールに及び、日本の森林面積の約5割、国土面積の約3割を占めています。保安林のうち、最も多いのが水源涵養林で、各保安林面積の合計の約7割にも及びます。次いで多いのが土砂流出防備林で、この2つで各保安林面積の合計の約9割を占めることになります。以下では、こうした保安林がどのように整備されてきたのか、その歴史について見てみましょう。
種類 | 主な機能 | 面積 (千ha) |
水源涵養林 | 森林土壌の団粒構造により、河川の水量を一定に保って洪水や渇水を防止する | 9,033 |
土砂流出防備林 | 地表に堆積する落ち葉や土壌の団粒構造により、土砂が雨で削り取られるのを防ぎ、土砂が河川へ流出して土石流などが起こるのを防止する | 2,525 |
土砂崩壊防備林 | 樹木の根が土壌を押さえることにより、土砂崩れという直接的な被害を防止する | 58 |
飛砂防備林 | 砂地を森林で覆って砂が飛ぶのを妨げ、枝葉で風速を緩和して飛砂を遮断する | 16 |
防風林 | 枝葉の摩擦抵抗によって風速を緩和する | 57 |
水害防備林 | 河川沿いにあって幹の摩擦抵抗により洪水の勢いを緩和し、樹木の根が土壌を押さえて堤防の決壊を防止する | 1 |
潮害防備林 | 幹の摩擦抵抗によって津波や高潮の勢いを緩和する。また、枝葉が海水の飛沫を捉えるとともに風速を緩和し、塩害を防止する | 14 |
干害防備林 | 水源涵養機能によって局所的に干害を防ぐ。対象が流域全体の場合には水源涵養保安林に指定される | 123 |
防雪林 | 枝葉の摩擦抵抗によって吹雪の風速を緩和し、森林内に雪を落とすことで吹雪の被害を防止する | 0 |
防霧林 | 森林の存在が空気の乱流を起こして霧の移動を止め、枝葉が霧粒を捉えて霧を薄くする | 62 |
なだれ防止林 | なだれの原因となる積雪の割れ目などの形成を妨げ、幹の摩擦抵抗によって斜面の積雪が滑り落ちるのを防止する | 19 |
落石防止林 | 樹木の根が土石を押さえて崩壊・転落を防ぎ、落石の際には障害物となって落石の勢いを緩和する | 2 |
防火林 | 耐火性の高い樹木で延焼を防止する | 0 |
魚つき林 | 水面に落ちる森林の陰、樹木から落ちる昆虫、森林から流出する養分、水質汚濁防止などによって、魚類の生息と繁殖の環境を維持する | 58 |
航行目標林 | 海岸や湖岸にあって地理的目標物となり、漁船などの航行の目印となる | 1 |
保健林 | 局所的な気象条件を緩和して、レクリエーションや休養の場所となり、生理的・心理的に人びとの保健・衛生に資する | 699 |
風致林 | 名所・旧跡などの趣きある風景を構成する | 28 |
各保安林面積の合計 | ― | 12,696 |
保安林全体の実面積 | ― | 11,964 |
水源涵養・国土保全・災害防止などを目的とする森林は古くから設けられてきましたが、各地で多くの例を見出せるようになるのは江戸時代からです。江戸時代に特に重視されていたのが、水源涵養林・土砂流出防備林・土砂崩壊防備林・飛砂防備林(砂防林)でした。 近代に入ると、明治初年から、政府はしばしば国土保全に関する森林の伐採を規制しました。特に明治9年(1876)には、官林のうち、水源涵養や土砂の流出・崩壊の防止に関する箇所が「禁伐林」に設定されました。また、同15年には社寺境内の「風致林」の伐採が禁じられました。さらに同年には、民有林のうち、水源涵養・土砂の流出や崩壊の防止・防風・防潮・なだれ防止に関する箇所が「伐木停止林」と定められたのです。 明治20年代には全国的に水害が多発したため、これを直接的な契機として、同30年に「森林法」が公布され、保安林制度が創設されました。本法で定められた保安林は、土砂扞止林・飛砂防止林・水害防備林・防風林・潮害防備林・頽雪防止林・墜石防止林・水源涵養林・魚つき林・目標林・衛生林・風致林の12種類です。この際、先述した「禁伐林」「風致林」「伐木停止林」は保安林に編入されました。また、「伐木停止林」以外の民有林についても、水源涵養・土砂の流出や崩壊の防止・防風・防潮・なだれ防止に関する箇所は、保安林に編入されることになりました。この結果、同30年の森林法制定時における保安林全体の実面積は、59万ヘクタールとなりました。 明治40年と同43年には大水害が起こり、治山治水対策が必要となりました。そこで政府は、同44年に第一期森林治水事業を開始しました。本事業の一環として、土砂の流出・崩壊の危険がある民有林については、補助金交付によって造林され、保安林に編入されました。これに関わって、同41年の時点では、国有林・御料林など、森林経営の方法が定まっている森林は保安林に編入しない方針であったのですが、大正3年(1914)にはこの方針を撤回して、特に国有林については、必要に応じて保安林に編入するよう改められました。第一期森林治水事業は昭和10年(1935)で終了し、同12年から同22にかけては、第二期森林治水事業が実施されました。しかし、第二期は植林よりも主に防災工事で森林荒廃地を復旧するものでした。 戦後間もない昭和23年には、水害の頻発を背景に保安林整備強化事業が5か年計画で開始されました。本事業では、全国的な調査に基づき、重要河川上流に広域の水源涵養林と土砂扞止林を設定する計画を立てました。さらに、同26年には森林法が改正され、保安林の種類は明治30年の森林法における12種類から、17種類に増加しました(表参照)。 昭和28・29年には集中豪雨や台風で災害が多発したため、同29年に治山治水の抜本的対策を図る「保安林整備臨時措置法」が制定されました。本法令は、国有林・民有林を問わず、保安林の適切な配置を目指して、その保全機能の強化を画策したものです。本法令に基づいて策定された第一期保安林整備計画では、災害に対する防備として、保安林の指定・解除や、保安林編入のための民有林の買い入れが実施されました。本法令は10年間の時限立法でしたが、以後も10年ずつ4回にわたって延長され、平成16年(2004年)に第五期保安林整備計画が終了したところで失効しました。この間、水源涵養林・土砂流出防備林・土砂崩壊防備林・保健保安林を中心に保安林面積が大幅に増大しました。 〔芳賀和樹〕 参考文献 ▽半田良一編『現代の林学1 林政学』(文永堂出版、1996年) ▽塩谷勉『改訂 林政学』(地球社、1978年) ▽保安林制度百年史編集委員会編『保安林制度百年史』(日本治山治水協会、1997年) ▽只木良也『森林環境科学』(朝倉書店、1996年) ▽林野庁編『平成二三年版 森林・林業白書』(全国林業改良普及協会、2011年)
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