尾張藩・尾張徳川家コラム集

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殿様お手元の特別会計? ―「御印帳」―

現存する尾張徳川家文書のなかに「御印帳」(「御家老共御印帳」)と題する小冊子が残されています。内容は、年ごとに村々から上納された三役銀(夫銀・堤.銀・伝馬銀)の一部を書き留めたものです。三役銀とは、一般的には村の石高に応じて課せられる税のことで、蔵入地(藩の直轄地)・知行地のいずれからも徴収されました。夫銀は、道路や橋・水路の普請などに、農民が年に三日の夫役に出ることになっていましたが、それでも不足した場合の人足を藩が雇う費用に充てました。堤銀は、木曽川の御囲堤など河川の堤防を建設・修復するための人足賃に充てたものです。また、伝馬銀は、藩領内の宿場において人馬を徴収する賃金に充て、のちに宿場への給付や貸し付けの資金にもなりました。  村々から上納された三役銀の一部は、「御印帳」に記載され、藩主の命をうけた重臣(年寄)によって秘密かつ厳重に管理されていました。これは、領民救済のための緊急用資金などにも捻出できるように、一般会計とは区別され、内密に確保されていたと推定されます。「御印帳」は享保15年(1730)2月分から記載が始まっており、6代継友・7代宗春・8代宗勝の時期までを書き留めた帳簿です。たとえば、享保16年7月には、夫銀・伝馬銀のうちから金46両3分・銀13匁9分5厘の上納があったことが記されています。  帳簿のなかには、使途不明のこの金銀の性格を知るうえで興味深い文言が記されています。まず、帳簿に記載されている金銀の使い道は、家老たちにも知らされておらず、「御隠密至極之儀」として藩主に一任されたと注記されています。

次に、上納された金銀は、この帳簿に重臣が記入捺印のうえ、直ちに藩主に差し上げ、お手許に置かれた「溜塗箱」に納めたとあります。また、「表御用金」(藩の財政)が不足したからといって、この金銀で補填するようなことはしてはいけない、領民を救済しなければならない時の手当を失うことにもなるからと、注意を促しています。そして最後に、この金銀が存在する趣旨を重臣たちは、強く心に留め置き、末永く後年まで伝えていくために、「御隠居様」の命により、この帳簿に注記したと記しているのです。 〔白根孝胤〕 参考文献 ▽「御印帳」(徳川林政史研究所所蔵)

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